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普通≠幸福

黒山もこもこ、抜けたら荒野  デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)

黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)

著者は1970年生まれの詩人で社会学者。「黒山もこもこ」というのは高度成長期、「荒野」というのはバブル崩壊後から現在までの社会状況を表現した言葉。団塊ジュニアとも呼ばれるこの世代は、「努力すれば報われる」という教育を受け過酷な受験戦争をくぐり抜けたにもかかわらず、社会に出る頃には就職氷河期を迎えていたという「ワリを食った」世代。突然のルール変更によって裏切られたという感覚を軸にして、現在の日本社会の問題点を次々に指摘しています。
最近読んだこういった本の中ではかなり面白いものでした。単なる格差とか階層論ではなく、著者自身が子どもの頃から感じていた「生きにくさ」を交えながら量産型のこの世代が背負った運命のようなものをわかりやすく的確に書いています。グレたり病んだりすることもなく、他者とは違う自分を意識しながらも型にはめなければならないとただひたすら無理をしていた幼少期〜思春期の哀しくも笑えるエピソードの数々。著者自身が既婚・子持ちの女性ということもあるのでしょうが、地に足のついた印象を受けました。詩人としての表現力と社会学者としての分析力・論理性があるからこそ、読んでて楽しい本になったのだと思います。
しかし著者の友人である男性陣が皆、パートナーの女性に「普通の生活がしたいの!」と言われるというくだりは笑うに笑えない。
私たちが子どもの頃は暮らしぶりに多少の差はあれ、日々食べたいものを選ぶことができ、家の中には電化製品が揃いマイカーがあり、ビデオやゲームなども次々と導入された時代。つねに活気があり、現状でも不自由はないのに生活はさらに上を向いていくのだと信じて疑わなかった。そんな「普通の生活=幸福」を刷り込まれた私たちは、人並み以上の暮らしでなければ幸福とは思えなくなっている。にもかかわらず、今では大企業の正社員でもないかぎり旦那ひとりの収入でそのような暮らしは望めない。既婚の女性があくせく働き、家事労働や育児や介護もこなすような生活は私たちの育った「普通の家庭*1」とはかけはなれている。専業主婦は今や憧れの職業(笑)
また、雇用問題や格差問題も含めて「自己責任」で片付けられることも多いのですが、かの夏目漱石が語ったという「個人の自由とそれにともなう義務」は21世紀のこの世の中ではまったく通用しないことに愕然とします。
私自身他人の行動について疑問に思うことは多々ありますが、それを主張する原理としてある「侵害原理(私が迷惑してる)」「モラリズム(道徳の問題)」「パターナリズム(あなたのためにならない)」のうち、私が使っているのは後の二つであることが多いな・・・と感じたり。でもそれって一般論にすりかえて自分を正当化しているのかもしれません。要は私が不愉快なんだ!と伝えることも時には必要なんじゃないかと思うわけです。ちょっと話はそれますが。
まあどのような原理で訴えても、相手が自由の責任について自覚がなければまったく効力がない。今の社会は「自分さえよければいい」が当たり前になっていて、そうすることで他者の自由は侵害される。声の大きいものだけがやりたい放題振舞い、正直者が馬鹿を見る世の中に、希望を見出すことは難しいと感じます。

*1:自営業などで両親とも働いていた家庭ではなく、あくまでも郊外のベッドタウンに住むサラリーマン家庭などを指す